「活躍するリングはある、自分で踏ん張れ」−−ガッツ石松さん(57)、鈴木佑季さん(34) ガッツ石松さん(57)は、成功した「団塊」の一人だろう。プロボクサーとして世界チャンピオンになり、今ではテレビドラマの俳優やタレントとして引っ張りだこ。中野区に瀟洒(しょうしゃ)な家を建て、10年前には自民党公認で衆院選に出馬したこともある。「子供のころには想像もできなかった」人生。
ガッツさんがまだ、鈴木有二さんだったころ。栃木県粟野町(現鹿沼市)の実家は、雨漏りとすき間風が吹き込む8畳2間の平屋建てだった。4人兄弟の二男。父は定職につかず、母が工事現場で稼いだ。おかずが漬物だけだったこともある。小学3年ごろから牛乳や新聞配達をして家計を助けた。 中学生になって、近所の家で初めてプロボクシングのテレビ中継を見た。「勉強は嫌いだが、これなら体一つで頑張ればいっぱしの男になれる」。卒業して2日後、集団就職で東京についた。弁当屋などで働きながら、ヨネクラジムに通った。
「モーレツ社員」や「ジャルパック」が流行語になった時代。ファイティング原田が世界バンタム級の王座に就いていた。「おれもチャンピオンになって実家を建て替えてやる」。夢だった。 翌年秋、プロテストに合格。2年後には全日本ライト級新人王になった。だが、世界は遠かった。2度挑戦した世界戦はいずれも敗れた。生活も苦しかったが、71年に結婚。妻が心の支えだった。 夢を描いて9年。3度目の挑戦でメキシコの王者を倒し、WBCライト級チャンピオンに輝いた。ファイトマネーの200万円はそのまま両親に渡した。中古の建材ながら実家を建て替えた。
新王者となったリングで、喜びのあまり抱き上げたのが当時1歳半だった長女佑季さん(34)。短大を卒業して、テレビの時代劇で女優デビューした。父の助けも借りタレント、歌手として10年以上たつが「まだ納得していない」。 「オレたちの世代の子供は、自分でゼロから道を切り開く経験が少ないから、苦労に対する免疫がないんじゃないか」。ガッツさんはそう感じる。半面、「私たちは道なき道を歩いてきた。だからその苦労を子どもにはさせたくない」とも思う。混沌(こんとん)とした気持ちだ。
隣で笑う佑季さんは、6年前、テレビ番組で日本チャンピオンと対戦した時の父が心に残るという。引退して20年。3ラウンドだけの企画だったが、数カ月前からトレーニングを積んでいた姿に生きる信念を感じた。「私も同じ血を引いているはず。いつか自分のステージを確立してやる」。以来、あきらめずに活動を続けている。 ガッツさんは言う。「活躍するリングは用意されている。最後は自分で踏ん張ってほしい」。娘にも、ほかの若者にも、熱い気力を求めたいのだ。
■人物略歴 がっつ・いしまつ 74年にライト級の世界チャンピオンになり、連続5回防衛。プロ通算成績は31勝(17KO)14敗6分。30歳で引退し、テレビドラマや映画、CMに多数出演。90年にはボクシング映画「カンバック」を制作し、監督、脚本、主演もした。
■人物略歴> すずき・ゆき 本名は有紀。中野区出身。淑徳短期大卒業後、タレントとしてクイズ番組やバラエティーに出演。95年には父とのデュエット「恋人ができたなら」で歌手デビューしたほか、05年にはロックバンド「WishfulBlank」を結成している。





